過去に遡る観光

過去に遡る朝来市の歴史

竹田城
神子畑選鉱場跡

朝来市には貴重な古墳が多く、副葬品などから但馬地方を統治した最高権力者が、数代にわたってこの地方を基盤としていたことがうかがえます。 生野銀山は、平安時代初期の807年(大同2年)に開坑したと伝えられています。織田、豊臣、徳川などの時の権力者はここを直轄地とし、重要な財源として銀山を管理してきました。 治には政府直轄の銀山として30人のフランス人技師などを招き、近代化を成し遂げました。そのため、日本最古の鋳鉄橋や西洋人宿舎などの近代化遺産が今でも数多く残っています。

周辺観光マップ

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雲海 竹田城

雲海 竹田城

兵庫県朝来市の古城山の山頂に築かれた城郭。平成18年に「日本100名城」に選定されました。廃城から約400年を経ているが石垣がほぼ完全に残っており、早朝に濃霧が発生すると城が雲海に浮かんでいるように見える。この姿が美しく「天空の城」「日本のマチュピチュ」とも評されている。雲海の中の竹田城を見るには、古城山の向かいにある朝来山に登ると良い。

大町藤公園

大町藤公園

山陰随一の規模を誇る大町藤公園は、約7000平方メートルの敷地に総延長500mの藤棚があり、5月上旬から中旬にかけて花が咲き乱れ、幽玄な空間を創りだし、訪れる人の目を楽しませています。5月上旬に開催される「藤まつり」では、さまざまなイベントが行われます。

立雲狭

立雲狭

立雲峡は、標高757メートルの朝来山中腹にあり、山陰随一の桜の名所として「但馬吉野」とも呼ばれます。立雲峡の最上部には「おおなる池」や「竜神の滝」があるほか、巨石・奇岩も点在。春には樹齢300年ともいわれる老桜が咲きほこります。また、雲海の中の竹田城を見ることができます。

神子畑選鉱場跡

神子畑選鉱場跡

800年頃に鉱山として開拓された神子畑は15世紀頃から採鉱が盛んになり、その後、明治政府の管理から一時は皇室財産として宮内省の管轄にもなりました。山の斜面を活かした巨大な建物がありましたが、現在は一部取り壊されています。

生野銀山

生野銀山

生野銀山は、大同2(807)年に開坑したと伝えられています。織田、豊臣、徳川の幕府直轄鉱山として栄え、明治元(1868)年には政府直轄となりました。その後は皇室財産にもなった大鉱山です。昭和48(1973)年に閉山しましたが、実際に掘られていた坑内に入り、当時のままの岩肌や、電機仕掛けの人形により再現された作業風景を見ることができます。

あさご芸術の森美術館

あさご芸術の森美術館

あさご芸術の森美術館は、広大な野外彫刻公園と屋内の美術館によって構成される、新しい芸術空間です。美術館は、雄大なロックフィルダム(関西電力多々良木ダム)の直下に位置しています。朝来市出身の文化勲章受章者淀井敏夫氏の生涯作品を屋内外に常設展示しています。また、あさご芸術の森大賞展やこども絵画等の展覧会、ワークショップによる教育普及活動を展開しています。

佐中の千年家

佐中の千年家

明治・大正時代に日本財界で活躍した「原六郎(進藤俊三郎)」の生まれ育った住宅で、通称「千年家」と呼ばれています。足利時代から続く名家であり、江戸時代前期に建てられたと考えられています。柱や梁が太く天井の低い造りで、使い込まれた囲炉裏、すすで深みのある色合いに染まった天井や建具、家財道具などが、この家の歴史を物語っています。

竹田寺町通り

竹田寺町通り

古城山のふもと、4カ寺と表米神社が並ぶ約600メートルの区間は「寺町通り」と呼ばれ、歴史散策路として親しまれています。白壁の塀や錦鯉が泳ぐ小川、松並木、小川沿いと虎臥城公園に植栽された約3000株の花菖蒲などが目を楽しませてくれます。

銀山湖

銀山湖

昭和47年(1972年)につくられた周囲12キロメートルの人口湖。ブラックバス・ヘラブナ・コイ・トラウト・ブルーギルなどが生息し、関西の釣りファンのメッカとなっています。貸しボートでの遊覧も楽しめます。

古代あさご館

古代あさご館

朝来市内には、さまざまな開発事業に伴う遺跡の調査により発掘された膨大な量の出土品が存在しています。これらの貴重な歴史的遺物を適正な管理のもとで調査・保存・公開するために整備された施設です。但馬の歴史・文化に触れられる体験学習メニューも用意されています。